この記事の読了見込み時間:8~10分+ポッドキャスト
はじめに
本日は、私個人としても、そして弊社の歩みにとっても、非常に感慨深いニュースをお届けします。
去る5月10日(日)、スペインのサッカー文化を深く掘り下げる人気ポッドキャスト番組『LA CÁBILA』から、大変名誉なことにインタビュー依頼をいただきまして、Zoomで日本とスペインをリアルタイムでつないで収録が行われました。
テーマは「E6T3. De Shima a Tomo. El hilo japonés del Barakaldo(シマ*からトモへ:バラカルドを結ぶ日本の糸)」です。5月14日にポッドキャストが公開されましたので、本日はその紹介をさせていただきます。
*シマ: 私、SHIMAnukiのスペイン滞在時の愛称
私がバラカルドCFの門をたたいた1976年
私がかつて、バスク州の工業地帯にある「バラカルドCF(通称バラカ)」の門を叩き、あの黄色と黒のユニフォームを着て泥にまみれたのが、ちょうど半世紀前の1976年のことでした。

1976年(昭和51年)当時の日本のサッカー界は、現在のJリーグ(1993年開幕)のようなプロリーグは存在せず、アマチュア最高峰の「JSL(日本サッカーリーグ)」が国内トップリーグでした。
1976年3月、日本代表はモントリオール五輪のアジア地区予選で韓国やマレーシアに敗れ、本大会出場を逃し、「アマチュアのままでは世界に勝てない」「プロ化が必要ではないか」という議論が徐々に起こり始めていた時代でした。
こういう時代背景もあって、当時は今と違って、日本人がスペイン、それも屈強なフットボール文化を持つバスクの地に飛び込むなど、まさに異例中の異例だった時代でしたが、当時大学生だった私は、アルバイトで貯めた40万円を手に羽田空港を飛び立ちました。
現地に到着してすぐに、私は日本と世界の圧倒的なレベルの差を突きつけられます。特に「ボールタッチ」の技術。彼らはまるで手でボールを扱うように、足の好きな部分を使って思い通りの場所へ正確に蹴っていました。その技術の高さには、正直、舌を巻くしかありませんでした。
1976年から2026年へ。50年目の「パス」がつながった瞬間
あれから50年――。 現在、バラカルドCFには、未来の指導者・アナリストを目指してデータと戦術解析を武器にチームを支え、必死に勉強している若き日本人、杉山智春くん(トモ)がいます 。

私が50年前に蒔いた小さな「挑戦の種」が、時を超え、現在の杉山くんという「知性の継承」へパスがつながっているのだなと、感慨深いものがあります。
番組では、名物MCのラウールの進行のもと、私と杉山くんの二人がインタビューを受ける形で進められました。地元の熱狂的なサポーター(マサ・ソシアル・グアルディネグラ)の皆さんからも、当時を懐かしむ温かいメッセージがたくさん寄せられ、バラカというクラブが持つ「懐の深さ」と、世界とつながる情熱の結節点であるというアイデンティティを改めて肌で感じ、胸が熱くなりました 。
ポッドキャストの公開情報
現在、下記のリンクから、実際の放送が公開されています。
オリジナル版(全編スペイン語 / 約1時間5分)
E6T3. De Shima a Tomo. El hilo japonés del Barakaldo
(シマからトモへ:バラカルドを結ぶ日本の糸)
嶋貫が話ししているパートと概要 (スペイン語)
■ 05:42〜07:15 :
50年前にネグリに住んでいた空手の先生と東京で知り合いになり、「もしスペインでサッカーを勉強したいなら協力する」とお言葉をいただき2つ返事で承諾。それが私のBarakaldo留学挑戦の始まりです。
■ 07:35〜08:09:
スペインサッカーは殆ど知らない状況でBarakaldoに到着。「ここはスペインではない、バスクだ!」と言われた言葉は意味がわからず衝撃的で今も鮮明に覚えています。
■ 08:18〜09:18 :
当時の日本サッカーと比べ、ボールテクニック、チームプレースタイルなどレベルが段違いでした。それでもスペインでプロになりたいという思いで練習しました。
■ 09:26〜09:54:
スタジアムからは伝統と歴史を感じました。
■ 10:10〜11:18 :
当時スペインでは国内通貨がペセタでした。1ペセタ=2円で日本円が強かったため、物価は安く生活はしやすかったです。食べ物では豆料理のアルビアスが好きでした。
■ 11:26〜12:30 :
大学在学時、卒業後すぐ、2回Barakaldoにお世話になりました。2回目は1年間滞在しましたが、「プロは無理だ!」夢を手放し涙しました。
■ 10:41〜13:45 :
日本にはまだプロリーグがなく、サッカーだけで食うのは難しい時代でした。食うで言うと、スペインで見つけた「カラスミ」を輸入して日本で売りました。
■ 13:58〜16:00 :
1993年にJリーグが誕生。その頃から日本サッカー協会からスペイン、南米から来るクラブの通訳を頼まれ、FCBarcelonaやアルゼンチン代表などの通訳を務めました。その際、「日本〜スペイン」のサッカー交流をやるというアイデアが閃き、カラスミ輸入会社をFutbol-Plus に再設立し、サッカー交流の仕事を始めております。会社のロゴとURLを送りますのでご覧ください。
■ 21:03〜22:30 :
現在、外国でサッカーを勉強したり、プレーヤーとなる日本人が多くいます。日本サッカー協会も公的に人材を派遣したりしています。そういった海外での勉強、経験が日本のレベルを間違いなく上げていると感じます。
■ 23:26〜24:55 :
バスクの時代の目撃者として、大きな変化を目の当たりにしています。昔は過激派によるテロや暗殺などが頻繁に起こっていた時代でした。今はそんなことはなく平穏に生活していますね。
■ 23:53〜29:38 :
私はサッカーを教えるのではなく、海外でサッカーを学ぶ日本人のお手伝い、また文化交流などの橋渡しをしています。よくネットでスペインのクラブの試合の結果、順位を見ています。また、日本人プレーヤー「久保建英」 が所属しているReal Sociedad にも特に注目しています。
本放送は全編スペイン語となっていますので、広くお楽しみいただけるよう、本ページでは以下の特別なコンテンツをご用意いたしました。
「番組の要約」は下記をご参照ください。
バラカルドCFと日本の50年にわたる絆
はじめに:公開されたポッドキャストの概要
本セクションは、スペインのサッカー文化を深く掘り下げるポッドキャスト番組『LA CÁBILA』の最新コンテンツ(2026/5/18時点)である「E6T3. De Shima a Tomo. El hilo japonés del Barakaldo(シマからトモへ:バラカルドを結ぶ日本の糸)」を要約したものです。
約1時間5分にわたるこの放送は、バラカルドCF(通称:バラカ)の半世紀前と現在を繋ぐ共通項「日本」をテーマとしています。
1976年に在籍していた日本人選手(私)と、現在クラブの技術部門を支える日本人アナリスト。この二人の歩みを通じて、クラブのアイデンティティに織り込まれた「日本の糸(hilo japonés)」の正体を紐解く内容となっています。
1.1976年の先駆者:バスクの工業地帯に降り立った「シマ」の記憶
番組では、1976年に、バラカルドCFの門をたたいた嶋貫祐一(シマ)に対し、東京への遠距離インタビューを敢行している。国境を越えたこの対話は、現代のグローバルな繋がりを象徴すると同時に、当時の驚くべき挑戦を浮き彫りにした。
- 歴史的文脈と「バラカ」
バラカルドCFはバスク州の工業地帯の心臓部に深く根ざしたクラブである。1976年当時、スペイン、とりわけこの保守的で屈強なフットボール文化を持つ地域に日本人が足を踏み入れることは、今日とは比較にならないほど「エキゾチック」で困難を極める出来事であった。
- 先駆者としての価値
現在は東京に在住する嶋貫だが、彼がかつてバラカのユニフォーム(zamarra)を纏い、地元の選手たちと共に汗を流したという事実は、日本とスペインのサッカー交流における極めて初期の、そして貴重な接点である。彼が残した足跡は、単なる練習参加以上の歴史的価値を秘めている。
2.21世紀の技術革新と情熱:アナリスト杉山(トモ)の視点
嶋貫が蒔いた種は、約50年の時を経て、杉山智春(トモ)という形で現代のクラブに花開いている。
- 専門職としての貢献
嶋貫が「選手」としてクラブの門を叩いたのに対し、杉山は「クラブアナリスト」としてバカルドCFに貢献している。データと戦術解析を武器にチームを支える彼の役割は、情熱だけでなく、高度な専門性がクラブに浸透していることを示している。
- 知性の継承
日本からやってきた杉山は、バスクの地に新たな風を吹き込んだ。嶋貫の挑戦が「勇気」の象徴であったならば、杉山の存在は、日本人の持つ「緻密な分析力と情熱」がクラブの組織運営において不可欠なピースとなったことを証明している。
3.Buzón Gualdinegro:ファンが紡ぐ「異色の選手」たちの鮮やかな記憶
番組内の人気セクション「Buzón Gualdinegro(グアルディネグロの投書箱)」では、クラブの熱狂的なサポーター(マサ・ソシアル・グアルディネグラ)から、記憶に残る「風変わりな契約選手」や「エキゾチックな選手」についての思い出が次々と寄せられた。
バラカの歴史を彩る多様性への賛歌であり、集団的記憶の鮮やかなタペストリーとなっている。
- メッセージを寄せた熱心なファンたち:
Kalbo, Alberto, Tomás, Sergio, Hugo, Luis, Zurdo, David, Aitor, Joaquín, Angel
- 共有された記憶:
参加者たちの熱のこもったメッセージからは、嶋貫のように遠い国からやってきて「バラカのユニフォーム(zamarra)」を身にまとった選手たちが、いかに地元のファンに愛され、記憶に刻まれてきたかが伝わってくる。
寄せられたエピソードの数々に、番組側も「¡vaya plantel!(なんと素晴らしい顔ぶれだ!)」と感嘆の声を漏らすほど、バラカの歴史には多様な個性が息づいているのである。
4.結論:50年を結ぶ「日本の糸」が示すクラブの誇り
1976年の嶋貫から現代の杉山へと至る50年間。この「日本の糸」は、一見すると偶然の産物のように思えるが、実はバカルドCFというクラブが持つ、開放的で懐の深いアイデンティティを象徴している。
バスクの伝統的なローカルクラブが、半世紀も前から遠く離れた異文化を受け入れ、共鳴してきた事実は驚嘆に値する。嶋貫による「歴史的な先駆者としての記憶」と、杉山による「現代的な専門知識の貢献」が融合することで、クラブの物語はより豊かで多層的なものへと昇華された。

この50年にわたる日本との絆は、バラカルドCFが単なる地方クラブではなく、世界と繋がる情熱の結節点であることを示している。この「日本の糸」は、これからもクラブのアイデンティティの一部として、大切に語り継がれていくことだろう。